どうも、ネロです。
今回は僕の初めての海外旅行について書いていきたいと思います。
僕にとって初めての海外旅行は2週間でイギリスのロンドンとフランスのパリを訪れるものでした。
当時20歳だった僕にとってその旅は、目に映るもの全てが新鮮でものすごく大きな影響を受けたのではないかなと感じています。
一体僕は初めての海外旅行で何を見て、聞いて、感じてきたのか・・・?
今回はこれから初めて海外旅行に行く人や、海外旅行にはあまり興味のない人にぜひ読んでほしいです!
なぜ海外へ・・・?
まあまずはどうして僕が初めて海外に行くことになったのか経緯を説明しましょう。
それは遡ること10年前ぐらい。
当時僕が通っていた高校にイギリスから女の子の留学生が二人やってきたのです。(留学生と言っても、僕の高校にいたのは1週間くらいでめちゃくちゃ短期の留学生だったのですが。)
彼女たちは当然日本語ができるわけではなく、日本語で行われる授業の間ずっと暇そうにしていたのを覚えています。
そんな様子を見て、当時から海外の映画や音楽が好きだった僕は英語が得意な友人を連れて彼女たちに話しかけに行ったのです。(ちなみに当時の僕の英語力は定期テストで赤点取っちゃうレベルでした。笑)
その結果僕と友人はその留学生たちと仲良くなることになり、別れ際にある約束を交わしました。
「2012年、ロンドンオリンピックのタイミングで僕たちはロンドンに行く!!」
イギリス人留学生との涙の別れから数年の月日が経ち、僕たちは約束を果たすべくロンドンの地を目指したのでした。
ロンドンオリンピックが開かれた2012年当時、僕らは大学生だったのでお金はないけど時間だけは無限にありました。笑
そんなわけで、「せっかくヨーロッパに行くならロンドンだけではなくパリにも行ってみよう」という話になり、ロンドンとパリを2週間に渡って訪れる旅を敢行することになったのでした。
理想とは違う旅の始まり
初めての海外旅行で、しかも目的地がロンドンとパリだなんて当時の僕にとってテンションが上がらないわけがありません。
成田空港で友人と合流すると、僕らは完全に浮き足立ちながら最初の目的地であるロンドンを目指したわけです。
今では面倒で仕方がない出国の手続きも当時は楽しくて仕方がなかったですし、ヘルシンキを経由して16時間にも渡るフライトも全く苦ではありませんでした。機内では「入国検査では何を聞かれるのかな・・・?ドヤ顔でサイトシーンって言っちゃうぞ!」なんて具合に頭の中お花畑だったわけです。
長いフライトを終えてロンドンに到着すると、無事に入国手続きを終えて僕らが泊まるユースホステルに向かうことにしました。到着したのは現地時間の夕方だったので、僕らは宿に荷物を置いて晩御飯でも食べに外へ繰り出そうという計画だったのです。
とは言っても、僕らは宿の場所を正確に把握しているわけではなく、とりあえずタクシーに住所を見せれば連れてってくれるだろうぐらいの感覚でした。
空港の外に出ると、僕らはすぐに中東系?のおじさんに「タクシー?」と声をかけられました。
その中東系のおじさんはいかにも空港で働いてますよ的な蛍光色のベストを着ており、僕らは完全に安心しておじさんに「イエス!」と言いついて行きました。
しかし、僕らはなぜだかやたらと空港から歩かされます。
そしてなぜかタクシーと言ったのにバスに乗らされました。
おじさんに「ここだ」と言われバスを降りてまた少し歩くと、辺鄙な駐車場にタクシー感のない一台のセダンがあり、中からまたしても中東系のおじさんが出てきます。
ここら辺で海外慣れしていない僕でもさすがにこれヤバくない・・・?という感情が沸き起こってきます。
とりあえずおじさんに促され、荷物をトランクに載せて後部座席に乗り込みますが、なんだかただならぬ雰囲気に僕らは完全に「これはやられたな・・・」と悟りました。
僕らは片言の英語で「目的地までいくらかかるんだ?」と聞くと、300ポンドと答えが返ってきます。
300ポンドっていくらだ・・・と慣れない通貨を頭の中で日本円に換算すると、日本円で4万円近い額ではありませんか。(当時のレートは120円くらいでした。)
僕らは背筋が凍るような感覚を覚えながら、またしても片言の英語で「高い!高い!」と訴えます。
それでもおじさんたちは「今はオリンピックの期間だから全てが高いんだ」と言われてしまいました。
僕らは後部座席で緊急ミーティングを行い、最終的に下手に抵抗して危険な目にあうくらいなら、大人しくお金を払ったほうが良いという結論に至ったのでした・・・。
ドライバーが道を間違えたりしてなかなか宿に着かないという、うんざりしてしまうような珍道中が終わり、僕たちはドライバーの言い値を払うことになりました。最終的に言い渡された値段は150ポンド。もともと聞いていた値段の半額になっていましたが、おそらく僕らがほとんどお金を持っていないことを感じて謎の値引きをしたのだと思われます。(当時の僕らは高校生と言っても通じるような見た目でしたし、海外では相当幼く見えたのだと思います。そんな幼い少年たちが不安そうな顔でいるのを見て、確実にぼったくれる値段を言ってきたのではないですかね・・・)
150ポンドと言っても、当時の僕らには大金です。一人75ポンドでしたが、日本円にすると10000円くらいですからね・・・。貧乏学生の海外旅行初日にタクシーで合計2万円もぼったくられるのは、かなりの精神的ダメージでしたよ、ええ・・・。
本来であればホステル近くの店でディナーという予定だったのですが、ぼったくりで完全に萎えてしまった僕たちは予定を変更してすぐに寝ることにしました。とてもじゃないけど外に出る気分になれなかったんですよ・・・(笑)
こうして僕の初めての海外旅行は幕を開けたのでした。
それでもやっぱり楽しい毎日
旅の始まりは最悪だったんですが、それ以降の毎日は楽しくて仕方なかったです。
ヨーロッパの街並みは歩いているだけで楽しかったですし、街行く人たちも当たり前ですが日本人とは違う見た目で違う言葉を話していて・・・。
まあとにかく僕は外国に来たという事実を存分に楽しむことができていたというわけです。
(また、ロンドンはオリンピックが行われていたということもあって、どこかお祭り気分の雰囲気が僕たちの気分も高めてくれたような気がします。)
それにベタな観光地をまわるのは間違いなく楽しかったです。ロンドンとパリにそれぞれ1週間ずついるような旅行だったので時間は十分にあり、ベタな観光地はだいたい全部まわったような気がします。(ビッグベンとかエッフェル塔とか。)
でも、この旅で一番刺激的で面白かったのは現地の人との関わりでした。
この2週間の旅を通じて、本当にたくさんの人と出会ったのですが、その中でも特に面白かった出会いを紹介します。
①ロンドンのホステルで出会った仲間たち
ロンドンでの滞在の大部分は安くてレビューが高かったユースホステルに泊まりました。
そのホステルは一階がパブになっており、二階より上の階が宿泊者が泊まる部屋があるという構造になっていました。(パブっていうのはイギリスの飲み屋で、日本でいうHUBみたいなイメージです。イギリスではこのような一階がパブで二階より上が宿って形式のユースホステルが結構あります。)
一階がパブになっているのであれば、そこで飲まないわけにはいかない!と考えた僕らは、タクシーでぼったくられた夜以外は毎晩そこでお酒を飲んでいました。
そのパブにはいかにも近所に住んでますって感じのおじさんおばさんがウヨウヨ来ていまして、そのパブには珍しかったであろう日本人の僕らに興味津々だったわけです。
具体的にどんな交流があったのかというと、、、
・パブの中に置いてあるビリヤードで遊んでいると初老のちょいワルおじさんおばさん4人組にいきなり勝負しようと言われてビリヤード対決をした
・バーテンダー的なおばちゃんから突然「好きな音楽を流していいよ」と言われてDJ的なことをしていたら、酒飲んでるおっさんに「お前らセンスいいな!!」と絡まれてひとしきり盛り上がる
・酔った勢いで酒飲んでるおばちゃんに「ユーアービューティフル!!」と言ってみたらほっぺにキスされる
・謎のポーランド人に「オリンピックのチケット売ってやる」と言われて金取られそうになったところを、ユースホステルの店主のペルー人彼女に守ってもらう
などなど、毎晩イベントてんこ盛りでした。毎晩そこで飲めば何かが起こるって感じで面白かったです。笑
このパブも兼ね備えたユースホステルでの出来事は、今でも僕と友人の間では語り草になっており、本当に行って良かった場所の一つです。
②パリジェンヌなホテルの受付のお姉さん
パリで僕らが泊まったホテルには、受付にとんでもなく綺麗なお姉さんがいたのです。
この世のものとは思えないくらいに綺麗な女性で、当時自分が目にしてきた女性の中で一番綺麗だと思えるような人でした。
そんなこの世のものとは思えないお姉さんに、無謀にも恋に落ちたバカな日本人が二人いたわけです。
そう、それは言うまでもなく僕と友人(爆)
僕らはもうとにかく彼女の気を引こうと躍起になったわけであります。笑
例えば、受付の前を通り過ぎる時は必ず彼女のことを一瞥してニコッとして見せたり、受付に行く用がある時はネットで使えそうな英語の例文を検索して彼女に話しかけてみたり。
言いたいことはわかりますよ、やってることがみみっちいって言いたいんでしょ!?でもね、あんなに綺麗な外国人女性を目の前にしたら当時の僕らにはこれをするだけでも精一杯なんですよっ!!!!!(白目)
そんなみみっちい僕らに対しても彼女はとても優しくて、必ず笑顔を返してきてくれたり、何かしらの気の利いたコメントをいってくれたり。(当時の僕に英語で返されるそのコメントの意味はわかりませんでしたが、とにかく何か気の利いたコメントっぽいことだけは認識できました。←)
彼女は僕たちの旅を素敵に彩る一輪の花だったのだなと、今しみじみと思うのでした・・・。(自己陶酔)
③留学生だった友人との再会
やっぱりこれも書かないわけにはいきませんね。
この旅のささやかな目的だった、僕の高校に留学に来ていたイギリス人の友人との再会もしっかり果たしてきましたよ。
一緒にロンドンのアイスバー(壁も椅子もカウンターも氷でできているバー)に行ったり、彼女たちが考えるロンドンの面白スポットに連れて行ってもらった僕たちは久々の再会を完全にエンジョイしちゃいました。
旅を通じて彼女たちのような自分と同世代の人と関わる機会はあまりなかったので、やっぱりパブで知り合ったおっちゃんやおばちゃんたちとは一味違う楽しさがありました。
でも、彼女たちと話していて僕の中でフツフツと燃え上がる感情がありました。
もっと、英語できるようになりてえ・・・!!という感情です。
彼女たちとの再会以外の場面でも、この感情は沸き起こっていたんですよね。
伝えたいことがあるのに伝えられないもどかしさ・・・。
当時の僕のTOEICの点数は450点だったので、この旅を通じて僕がどの程度会話できていたのかっていうのはお察しです・・・。
言語はあくまでも外国人とコミュニケーションを取るためのツールの一つであって、大切なのは自分自身の中身だ・・・なんてこともよく言いますが、僕がこの時思ったのは「言葉ができないと、そもそものコミュニーケションの土俵に立てない」ということでした。
確かに言葉ができなくても明るい性格で外国人から人気者に・・・なんてこともあるんですけど、それが本当の意味で交流できているのかという点で僕は納得がいかないんですよね。(その場限りの交流ならいいですが、ずっと続くような友人関係だとやっぱり自分の言いたいことを伝え、相手の言わんとすることも理解したいと思ってしまいます。)
だからこそ、英語ができない自分が不甲斐なくて、悔しくて、もどかしくて・・・。
絶対に大学を卒業するまでに英語ができるようになってやる!と密かに決意した20歳の夏でした・・・。
まとめ
さあ、そんなわけで今回は僕の初めての海外旅行を振り返ってみましたがいかがだったでしょうか。
いきなりトラブルから始まったこの旅行だったんですが、それも含めて今ではものすごく良い思い出です。
(実を言うと今回書いたタクシーぼったくり事件を遥かに超える別のトラブルもあったのですが、それはとっておきのネタなのでまたいつか別の記事で書いていこうと考えています。笑)
そして、この旅を通じて僕は英語ができるようになりたい!と考えた僕は、現在海外関係の仕事に就くようになりました。
残念ながら今でも英語力についてはまだまだと感じることも多いのですが、この旅が僕にとって今の仕事に就くきっかけにもなっているのかもしれないなあ・・・と思うとしみじみしてしまいます。笑
英語の面以外にも、きっとこの旅は僕に色々な影響を与えているのだと思います。それくらい、若い頃の海外体験って大きなものなんですよね。
なので、海外に行くか迷っている若い方にはぜひとも旅に出ることをオススメするのであります。
それでは本日の科学はここまで!
次回をお楽しみにー!!